石碑の修復

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・記念石碑や墓碑など文字が刻まれた石碑は、100年ほど経過するまでに風化が進み、刻まれた文字が判読できなくなるものが多くなります。石の種類・質により風化の程度は大きく違います。株式会社聚珍社は、判読できなくなる前に刻まれた文字を保存するため、石碑の修復を致します。
 
・修復はそれぞれの石碑の状態によって見積価格も変わりますので、お見積り依頼フォー
 ム
」の「ご依頼内容
欄」に概略をご記入の上メール又はFAXにてご連絡くださ
 い。
 ご依頼内容に沿ってご相談に応じさせていただきます。


傘マーク墓碑と石碑
(碑文)
孺人名縫子和州十津川谷垣内邨人父曰岩之丞孺人幼有才
識已長嫁佐古君擧四男一女老来大阪寓于其子茂實家明
治二十七年十二月二日得疾不起享年六十九茂實葬之于長
柄塋域佐古君夙勤王之志東奔西走在家日少孺人育児女
理家政使君無内顧之憂君得展力于国事以蒙贈位之榮者孺
人之力居多云
           南岳藤澤恒撰

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(碑文)
玉置良蔵之墓
吉野郡長玉置高良君爲其従弟良蔵君泣曰年僅三十

天奪其志傷哉盖生于郡之折立村十一入郷校以頴敏
称弱冠遊東京修仏國学會有叓于臺湾請而従軍軍罷
歸又就学性固蒲桺病随勉成遂與學深乃歸爲郡之書
記二秊病大発就医于大阪薬石魚験目明治十六年四
月十日歿其明塟之于長柄塋有弟曰真曰保曰邨而妻
赤尾氏無子豈不非乎天美志気可瀬而塋此豈忍使興
草木同朽平請先生圖之余爲帳然乃銘曰
寧爲壁碎固勝瓦全何用問其寿遺愛在人三弟継志
興艸木朽

         
浪華   藤澤恒撰并書
墓碑と石碑
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